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アンリ・ルソーの見た風景 [美術]

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先日、箱根ポーラ美術館で開催中の、
<アンリ・ルソー〜パリの空の下で>という展覧会を見た。
ルソーは大好きな画家なので、とても楽しかった。


ルソー作品自体は全体からいって多いとは言えないのだが、
類似がある画家たち、影響を受けた画家たちなど、
展覧会の構成は中々だった。

ルソーはパリ市の税関で勤務しながら絵を志し、
中途退職して画家として生き、
そのどの時代にも流派にも属さないオリジナリティで、
20世紀絵画に大きな影響を与えた画家である。

私はルソーの色、筆致、テーマ、そして全体の雰囲気全てが好きだ。

この展覧会のメインであるこの絵↑、
《エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望》にもその全ての魅力が備わっている。

彼は夕焼けの眼を持った画家だと思う。
彼の描く空は、例え青一色の晴天を描いていても、
夜を描いていても、どこかに夕焼けの無数の色彩が隠れている。
そして額に別の眼、月の眼を持っていた。
彼ほど月を月として描き、
月の光のあたりかた、その多彩さを表現した画家はいないと思う。

この絵は「夕焼けの眼」で主に描かれているが、
この空の色、実際本当に吸い込まれるような美しさだった。
このような色の空が現実にそっくりに現れるかどうかではなく、
夕焼けそのもの、夕焼けのもたらす感情の色そのものだ。

ルソーの特徴である丹念に細部まで描きこまれた木々と葉は、
それぞれの色彩をまといながら夕焼けを反射して柔らかくきらめく。

画面下の後ろ向きの人物、
このような構図で似たような後ろ向きの人物が良く出てくるが、
これはルソー本人であろう。
私たちはこの人物を通して、ルソーの見た風景を見ることが出来る。

ルソーといえば「デッサン力、遠近法の欠如」がよく言われるが、
このエッフェル塔も、おかしいといえばおかしい。
歪んでいるし、下部は切れている。
しかしそれは画面の男にとっての現実の風景であり、
彼を通して見るルソーの現実を、私たちも見ているのだ。

そこでは鉄筋は柔らかく飴のような鈍い光沢を持ち、
空と樹々が反射し合い、
傾いた橋を右側の大木が支えるようにして構図の安定をもたらす。

自らを「レアリスムの画家」と称し、
見たものをそのままに描いていると自負していたルソー。
「実際の現実」とのあまりの違いのせいで人々はそんな彼を嘲笑したが、
彼は「自分の現実」を描いていたわけだから、ある意味正しいのである。
技術のみで判断するしかできない浅薄な人間には、
到底見ることの出来ない美しい世界をこのように私たちに見せてくれている。

独自の眼で独自の現実を観察し、
それを惜しみなく人々に再現してくれたルソーの優しさに、
感謝でいっぱいである。

この他にも魅力的なルソーの絵や、
様々な関連性から導かれた多種多様な画家の絵が沢山展示されていた。

変化球として、
創成期の映画人、ジョルジュ・メリエスの映画も流れていた。
確かに空への関心といい、エキゾチズムへの関心といい、
今まで意識しなかったが、面白い類似があるものである。

他にも、終生音楽も愛していたルソーの、
亡き妻に捧げたバイオリンの曲を再現したものが聞ける。
魅力的だが唐突な展開の多い、不思議な曲だった。
更にその音声コーナーでは、
ルソーの友人であり理解者であった詩人アポリネールの詩を、
本人が読んでいる貴重な録音も聞くことが出来る。
非常に芝居がかった、ゆったりとした朗読だ。

そんな感じで、盛りだくさんの展覧会、
満喫、満喫。
更にショップでルソーの素晴らしい伝記も購入し、
このところルソー三昧である。
そんなわけで彼について考えるところ多々であるので、
次回また書いてみようかと思う。


アンリ・ルソー 楽園の謎 (平凡社ライブラリー)


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