SSブログ

ピート・サンプラスの思い出(3/3) [スポーツ]

005.jpeg
(↑米国、牛乳の広告でのサンプラス。こんな一面もあるのね!カワイイぜオイ、
と当時発見した時にたにたしてしまいましたことを告白いたします)

サンプラスの試合、
特に決勝に近い試合を見ている時の私は大変な騒ぎであった。
全米のような時差がひどい地域での決勝のためなら、
夜中だろうが早朝だろうが起き、
テレビにへばりついて全神経を集中させていた。
動悸も激しく、後半になるにしたがって
「し、心臓が!この中にお医者様はいませんか!」
「はい!深呼吸をしなさい!」
などと脳内一人芝居をする有様だった。

不利な展開になれば、ありとあらゆる神に祈りを捧げ、
「天にましますわれらの父よ、恐み恐みも白す(かしこみかしこみもまおす)、
南無阿弥陀仏の、アッラーよ、エコエコザメラク…」
と唱え、
画面に念力を飛ばし、

「膝がいたむなら痛みをとらん、
彼に集中力を与えたまらん、疲労とりますらん…」
と呪術的に呟いたり、

「今から彼の苦しみを軽減させるために1分間息を止めよう、
私が苦しい分彼に力が行くはずだ」
等と全く根拠の無い独自の呪術を発案・実行してみたり、
とにもかくにも相当危険な状態になっていた。

そんな挙句に彼が負けたりしたら、もうこれは世界の終わりであった。
2000年全米の決勝で彼が迅速に、あっけなく勝ち進んだ後迅速に、
あっけなくサフィンに負けた時など、
目玉が溶け出すほど号泣し、学校を大幅に遅刻した。
テニスファンなど学校ではそう多くいるはずもなく、
泣きはらした顔で登校するのは非常に憂鬱であった。

その分、優勝すればもうこの世の春だった。
勝手にファンになり、勝手に期待し、勝手に号泣し、
勝手に応援し、勝手に呪術まで行い、勝手に喜んでるだけだが、
そういうものだ。

そこまで入れ込んでいた彼に、私はたった一度、会ったことがある。
正確には、見たことがある。
忘れもしない2000年のウィンブルドンでのことである。
同じくサンプラスファンの友人とロンドン小旅行に行き、
丁度男子準決勝の日にウィンブルドンに行った。
何故決勝の日に合わせなかったのか、
旅行に浮き足立ち幼く愚かだったためか判然としないが、
決勝の日が帰国日だったので、とにかく準決勝の日に行ったのである。

難なく勝った彼の出待ちをすべく駆けずり回り、
全く定かでない情報に踊らされ、
7月だというのに異常に寒い中座り込んで待ち続け、諦めかけた時に…

頭上の橋をわたる、サンプラスを、ついにこの目で見ることができたのだ。
呆然としながら、彼が視界からいなくなる寸前に、私は叫んだ。

「ピート、優勝してねーーーーー!!!!」(一応英語で)

彼は振り返った、たった一瞬、振り返った。
今思えば、彼が橋を渡っている最中に声をかければ、
こちらを見てくれたかもしれない。
手ぐらい振ってくれたかもしれぬ。
もしかしたら“Thanks”くらい言ってくれて、
会話が成り立った可能性すらある。

けれど私は、憧れの人の登場に完全に機能を失い、
姿が見えなくなるその寸前に、発声、言語、
その他の人間の基本的な機能を思い出し、声をやっと出した。
後から自分の愚かさを責めたりもしたが、彼は私の声を聞いた。
それだけでも、充分である。

その後帰国し、空港まで迎えにきた親にまずサンプラスの勝敗を聞き、
優勝を知って成田空港で友人と万歳三唱したのも良い思い出である。

そのウィンブルドン体験の興奮が冷めず、
勢い余った私は、愛読していたテニス・マガジンという雑誌に、
サンプラスとの遭遇を漫画に描いて投稿する、
という突飛なことまでしてしまった。
するとそれが読者のページに採用され掲載されてしまったのだ。

Tennis magazine 2000年10月号、杉山愛選手の表紙のやつである。
漫画はあくまでもおまけで、ただ遭遇を伝えたく手紙を書いたのに、
漫画が採用されてしまった。
テニス・マガジンは粋なことをしてくれて、その掲載号にサンプラス大大特集までしてくれた。
そして掲載のご褒美に送られてきた、優勝カップを高々と上げるサンプラスの写真は、
今でも私の宝物である。

007.JPG
↑これが!その紙面!レアですぜ〜!恥ずかしい!しかし嬉しかったんだよ…


いまだに潰えない夢として、
私はいつの日かサンプラスに会えるくらい有名になるか、
サンプラスに会えるくらい有名な友人をつくるか、
有名じゃなくてもサンプラスと仲が良い人と知り合いになるか、
またサンプラスに遭遇するくらい運の良い人になって、
もう一度彼に会いたいと思う。

その時、
「あの時お会いして以来ですね」
と、オードリーの春日並みに突飛な挨拶をして、
サンプラスをきょとんとさせる、という野望を密かに抱いている。
その時こそ、人間としての基本的な機能を忘れずに、
サンプラスとの会話を成立させたいものである。

記念すべき2000年ウィンブルドンでの優勝を最後に彼は優勝から遠ざかり、
2002年の全米で、これまたアガシとの決勝で、
当時の優勝の前人未到の記録を打ちたて、
翌年引退した。

ああ、これで長い長い、グランドスラムでのサンプラスへの愛が、
一応の終わりを迎えてしまったわ、と感慨深かった。
彼が時折シニアのリーグでまたプレイをして、
衰えを見せていないことも知っているが、やはり現役のころの、
狂ったような情熱を向けるのとは違う気がする。

しかし最近、昔の試合のビデオを見て、
結果も分かりきってるのに懐かしさより興奮と感動が上を行くので、
ああ、やっぱり好きですねぇ、サンプラス。

そして初めにも記したが、
ここ数年のお気に入りはラファエル・ナダルである。
サンプラスならフェデラーでしょ?と言われそうだが、
フェデラーのように多少似たタイプのプレーヤーより、
むしろナダルである。

なんだかサンプラスと正反対のナダル。
体力が半端なく、
後半が劣勢になると負けてしまう可能性が高かったサンプラスと違い、
マッチポイント握られてからも勝つかもしれないと思わせるタフなナダル。
サーブやスマッシュが素敵なわけではないナダル。
派手でキャラクターとしての人気も高いナダル。
サンプラスとナダルの共通点は、勝利への執念、冷静さ、
変な癖(しかしナダルの癖の神経質さは、
どちらかというとアガシに似ている気がする)、
宿命のライバルがいる、
バナナを食べるのが似合う、というところか。
どちらにしろ、贔屓がいると、日常生活がちょっぴり刺激的になるものだ。

つい先日の全仏オープン決勝、見事ナダル優勝!!
ナダルはかつての全仏時並みの圧倒的強さとまではいかず、
全体にフェデラーの方が押していた気もするが、
その分波があり、淡々とそれを受け止めて自分のテニスをし、
ここぞという時に鬼気迫る攻撃を仕掛け、
赤土を知り尽くしたナダルの勝利であった。
このような王道の組み合わせで、
一方的でなく、スコア以上の展開があり、様々なスランプを超えての勝利、
を見ると、ああ、テニスファンは幸せである、と思うのだ。


ナダルは素敵だ、フェデラーもすごい、
それでも私の最高のテニス・プレイヤーは、
いつまでも、ピート・サンプラス。
ファンレターまで出しちゃったのもサンプラスだけだ。
その日々は素晴らしかった。
素晴らしいプレイと歴史、そして個人の思い出まで築いてくれたサンプラス、
ああ、ピート・サンプラス、
君のテニスよ、永遠なれ。

001.jpeg
↑私にとって、ウィンブルドンの優勝カップが一番似合うのは、
やっぱり君なんだぜPete!

さあ、次はウィンブルドン、楽しみだ!


最後に、私の大好きなサンプラスの名言。
特に凝ったものではなく、ストレートな物言いだが、
このような言葉を実際に実践出来る人というのは、
やはり偉大なのだと思う。
テニスだけではなく、例えば音楽でもなんでもこの姿勢で臨みたいものだ。

「僕は一度たりとも、
自分の力を疑ったことがない。
たとえ世界最高の選手と対戦する時もだ」

ピート・サンプラス



コメント(0) 
共通テーマ:音楽

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。