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フレディ・マーキュリー、道化師は誇り高き王 [音楽]

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Freddie Mercuryの命日がもうすぐだ。

昔、なんとなくCDレンタルショップでクイーンのアルバムを手に取った瞬間、
ズキューン!とフォーリン・ラブしてから以来、彼を常に敬愛している。

瞳に惚れてからとりあえずベスト盤を聞いてびっくり、
たたみかけるような個性溢れる曲、曲、曲で空間がねじれたかと思ったが、
一度はまったらもう中毒一直線。
音にも惚れ、曲にも惚れ、バンドにも惚れ、メンバーそれぞれ好きだったが、
特にフレディにぞっこんとなり、
思春期真っ盛りだったせいか脳内で同居状態、
花を見てはフレディといるつもり、
オペラを聞いてはフレディと聞いているつもり、
まだインターネットに疎かったのであらゆる書籍・映像を血眼で探しまくり、
とりあえずクイーン楽曲を歌いまくり、
架空の会話を無言でするに至るほどのめりこんでいた。

フレディに惹かれた理由は、
顔(特に眼)を初めとして歌声その他星の数ほどあるのだが、
知れば知るほどの魅力、その人物像そのものも大きい。
それが伝聞でしかなくとも、虚構の集合で一片の真実も語られている、
という前提で。

フレディは誇り高い。
Queenなんて命名してしまうのが完全にしっくり来るほど、
ごく若いうちから「スター」である自負を密かに抱き、
豪奢なものを好み、貴族的趣味、
その美意識の赴くまま堂々と生きていた。
上の写真↑のような王冠と毛皮が彼ほど似合う人がいるだろうか。

それでありながら、その個性的な美意識は、
時に常人には理解できないオドロキの趣味にぶっ飛ぶ。
扇ですかそれはみたいなケープはまだしも、
全身タイツに胸毛コンニチワとか、
全身目玉だらけ+赤い紐みたいな衣装とか、
スーパーマンに肩車とか、
しましまパンツにサスペンダーだけとか、
何故かベティちゃんのTシャツとか、
いったい何がどうしてこうなった、
という奇抜な衣装も多い。
ソロのPVのやりたい放題もオドロキと感心でいっぱいになる。

それをただ奇抜であろう、ショックを与えてやろう、という策ではなく、
どうも本当に好きでやってる感じが、誇り高い。
当時からフレディは一部ではお笑いすれすれ、
というかお笑いそのもの的なイメージも持たれていたようだが、
堂々と実践し続け、誇らしい感じさえしてしまうのが素晴らしい。
初期のステージでのシャンパン片手に「これは本当のダイアモンドだよ」
なんて指輪を見せびらかすパフォーマンスなんて笑わせるためとしか思えないが、
どうも半ば本気で満足しているっぽいところが…
だから逆に決してステージを過剰にシアトリカルにすることもなく、
パフォーマンスに頼りきることもなく、あくまでミュージシャンであった。

彼は世界の道化であり、世界の王でもある希有な人だ。
笑われようが、満足して、「優雅なお辞儀」で返す、
そんなノーブルな道化であり、世界と自分自身を楽しませる。

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(↑これぞ世界の道化師。)

シアトリカルにする必要がない、
それはフレディ本人が充分シアトリカルだったから、ということもある。
性格的にも、境遇も。
特に境遇は。

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(↑ザンジバルでのフレディ、母上と。花輪がかわいいぃ〜!
なんとも異国情緒に溢れている。)

ペルシア系インド人、パルーシー教徒のバルサラ家の長男として、
アフリカの孤島・ザンジバルに生まれた、
フレディことファローク君は、
多くの召使いに世話された裕福な幼年時代を過ごし、
学校はインドの英国式全寮制スクールへ。
ここでスポーツに音楽に優等だったおぼっちゃまだったファローク、
14歳の時革命のためイギリスに亡命、
一転して暗く寒い国土で「移民」という立場に立たされたファローク、
元々の夢見がちでシャイな性格を強くして行く…

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(↑インドの学校でのフレディ。明るいようなシャイなような感じが可愛い。ちなみに真ん中。)

フレディが殆ど生前口にしなかったこの若い頃の経歴は、
人によってはことさらドラマチックに吹聴しそうなものだが、
彼の誇りはそれを良し、としなかった。
本当の人生が始まるまでは、どんなドラマチックなことでも口にしない。

美術学校に入学したフレディ、
まわりに派手な生徒がいるため目立たない笑い上戸の細身の生徒、
歌真似をしても大した注目も浴びずに友人のバンド練習にくっついている、
自分でもバンドに入ってみるが鳴かず飛ばず、
しかしついに前からちゃちゃを入れていたバンドに加入することに、
そのバンドに名前を与え、
そして「フレディ・マーキュリー」と名乗るようになる。

おそらくここで初めて本当の人生が始まり、
世界の道化かつ王である「フレディ・マーキュリー」が誕生したのだろう。
そして抑えていた欲望、美意識、芸術が溢れてゆく。
それでも、フレディ・マーキュリーは、
ファローク・バルサラだったから生まれたわけであって、
両者はフレディのファンタジーの中で融合し、
空間と時間を超えてひとつの大きな個性を作り出したのだろう。

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(↑まだバルサラ時代のフレディ、敬愛するジミヘンの真似ショット!
ギターを弾くのではなく姿を真似しちゃうあたりが好感。
このブレスレットフレディっぽい!とか言って身につけてるのと近い。
更に美大時代、フレディはジミの絵をやたらと描いていたのだが、
ここらへんも共感。)

フレディは自分の美意識から外れることはしないし、口にしない。
クイーンは80年代、南アフリカでライブを決行するにあたり、
差別国家に迎合するのか、ファシストバンドめ、
と散々バッシングされたのだが、
実はフレディが、その西洋の糾弾者がほとんど行ったことのないアフリカで生まれ、
幼少期に差別を目の当たりにし、更には本人も「西洋白人」ではない、
というのは皮肉である。
けれど彼はその事実を使っての反論は全くしなかった。
更にその死においても、HIVのことを世に知らせる旗手となれたはずだ、
という声も死後あがったが、死の前日までアナウンスはしなかった。

政治的な発言も音楽も好きではない、と言っていたその通り、
徹底的に個人主義を貫き、自分の美意識の通りに生きたその姿は、
実に潔い。
ただ見ている時、聞いてる時、楽しんでくれればいいんだ、
その単純な哲学に裏打ちされた、素敵な美意識、
完璧なエンターテイナーである。

ああフレディよ、君に乾杯!

ところで、フレディが自ら命名した「マーキュリー」だが、
マーキュリーとはローマ神メルクリウスの英語読み、
ギリシア神話のヘルメスと同一視される神で、
他の神の使者となったり旅人の守り神となったりするのだが、
フレディは自分の芸術の使者となるべく、この名前をつけたのだろうか。
なにしろ、この神は「翼のついた帽子やサンダル」を身につけ、
ケーリュケイオンと呼ばれる短い杖を持っているのだ。
それは初期フレディのステージ衣装にあらわれる翼、
そしてあの短いマイクスタンドで再現されている。
あまり言及されることはないが、このフレディのヘルメス化はとても面白い。
流石自らの美意識に忠実なフレディ!である。

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(↑翼と杖のようなマイクスタンド。
本当に彼は「マーキュリー」になっていたんです!)

ということで、命日までまだあるので、
いくつかフレディの記事を書こうかと思うので、続く…



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