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ピート・サンプラスの思い出(3/3) [スポーツ]

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(↑米国、牛乳の広告でのサンプラス。こんな一面もあるのね!カワイイぜオイ、
と当時発見した時にたにたしてしまいましたことを告白いたします)

サンプラスの試合、
特に決勝に近い試合を見ている時の私は大変な騒ぎであった。
全米のような時差がひどい地域での決勝のためなら、
夜中だろうが早朝だろうが起き、
テレビにへばりついて全神経を集中させていた。
動悸も激しく、後半になるにしたがって
「し、心臓が!この中にお医者様はいませんか!」
「はい!深呼吸をしなさい!」
などと脳内一人芝居をする有様だった。

不利な展開になれば、ありとあらゆる神に祈りを捧げ、
「天にましますわれらの父よ、恐み恐みも白す(かしこみかしこみもまおす)、
南無阿弥陀仏の、アッラーよ、エコエコザメラク…」
と唱え、
画面に念力を飛ばし、

「膝がいたむなら痛みをとらん、
彼に集中力を与えたまらん、疲労とりますらん…」
と呪術的に呟いたり、

「今から彼の苦しみを軽減させるために1分間息を止めよう、
私が苦しい分彼に力が行くはずだ」
等と全く根拠の無い独自の呪術を発案・実行してみたり、
とにもかくにも相当危険な状態になっていた。

そんな挙句に彼が負けたりしたら、もうこれは世界の終わりであった。
2000年全米の決勝で彼が迅速に、あっけなく勝ち進んだ後迅速に、
あっけなくサフィンに負けた時など、
目玉が溶け出すほど号泣し、学校を大幅に遅刻した。
テニスファンなど学校ではそう多くいるはずもなく、
泣きはらした顔で登校するのは非常に憂鬱であった。

その分、優勝すればもうこの世の春だった。
勝手にファンになり、勝手に期待し、勝手に号泣し、
勝手に応援し、勝手に呪術まで行い、勝手に喜んでるだけだが、
そういうものだ。

そこまで入れ込んでいた彼に、私はたった一度、会ったことがある。
正確には、見たことがある。
忘れもしない2000年のウィンブルドンでのことである。
同じくサンプラスファンの友人とロンドン小旅行に行き、
丁度男子準決勝の日にウィンブルドンに行った。
何故決勝の日に合わせなかったのか、
旅行に浮き足立ち幼く愚かだったためか判然としないが、
決勝の日が帰国日だったので、とにかく準決勝の日に行ったのである。

難なく勝った彼の出待ちをすべく駆けずり回り、
全く定かでない情報に踊らされ、
7月だというのに異常に寒い中座り込んで待ち続け、諦めかけた時に…

頭上の橋をわたる、サンプラスを、ついにこの目で見ることができたのだ。
呆然としながら、彼が視界からいなくなる寸前に、私は叫んだ。

「ピート、優勝してねーーーーー!!!!」(一応英語で)

彼は振り返った、たった一瞬、振り返った。
今思えば、彼が橋を渡っている最中に声をかければ、
こちらを見てくれたかもしれない。
手ぐらい振ってくれたかもしれぬ。
もしかしたら“Thanks”くらい言ってくれて、
会話が成り立った可能性すらある。

けれど私は、憧れの人の登場に完全に機能を失い、
姿が見えなくなるその寸前に、発声、言語、
その他の人間の基本的な機能を思い出し、声をやっと出した。
後から自分の愚かさを責めたりもしたが、彼は私の声を聞いた。
それだけでも、充分である。

その後帰国し、空港まで迎えにきた親にまずサンプラスの勝敗を聞き、
優勝を知って成田空港で友人と万歳三唱したのも良い思い出である。

そのウィンブルドン体験の興奮が冷めず、
勢い余った私は、愛読していたテニス・マガジンという雑誌に、
サンプラスとの遭遇を漫画に描いて投稿する、
という突飛なことまでしてしまった。
するとそれが読者のページに採用され掲載されてしまったのだ。

Tennis magazine 2000年10月号、杉山愛選手の表紙のやつである。
漫画はあくまでもおまけで、ただ遭遇を伝えたく手紙を書いたのに、
漫画が採用されてしまった。
テニス・マガジンは粋なことをしてくれて、その掲載号にサンプラス大大特集までしてくれた。
そして掲載のご褒美に送られてきた、優勝カップを高々と上げるサンプラスの写真は、
今でも私の宝物である。

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↑これが!その紙面!レアですぜ〜!恥ずかしい!しかし嬉しかったんだよ…


いまだに潰えない夢として、
私はいつの日かサンプラスに会えるくらい有名になるか、
サンプラスに会えるくらい有名な友人をつくるか、
有名じゃなくてもサンプラスと仲が良い人と知り合いになるか、
またサンプラスに遭遇するくらい運の良い人になって、
もう一度彼に会いたいと思う。

その時、
「あの時お会いして以来ですね」
と、オードリーの春日並みに突飛な挨拶をして、
サンプラスをきょとんとさせる、という野望を密かに抱いている。
その時こそ、人間としての基本的な機能を忘れずに、
サンプラスとの会話を成立させたいものである。

記念すべき2000年ウィンブルドンでの優勝を最後に彼は優勝から遠ざかり、
2002年の全米で、これまたアガシとの決勝で、
当時の優勝の前人未到の記録を打ちたて、
翌年引退した。

ああ、これで長い長い、グランドスラムでのサンプラスへの愛が、
一応の終わりを迎えてしまったわ、と感慨深かった。
彼が時折シニアのリーグでまたプレイをして、
衰えを見せていないことも知っているが、やはり現役のころの、
狂ったような情熱を向けるのとは違う気がする。

しかし最近、昔の試合のビデオを見て、
結果も分かりきってるのに懐かしさより興奮と感動が上を行くので、
ああ、やっぱり好きですねぇ、サンプラス。

そして初めにも記したが、
ここ数年のお気に入りはラファエル・ナダルである。
サンプラスならフェデラーでしょ?と言われそうだが、
フェデラーのように多少似たタイプのプレーヤーより、
むしろナダルである。

なんだかサンプラスと正反対のナダル。
体力が半端なく、
後半が劣勢になると負けてしまう可能性が高かったサンプラスと違い、
マッチポイント握られてからも勝つかもしれないと思わせるタフなナダル。
サーブやスマッシュが素敵なわけではないナダル。
派手でキャラクターとしての人気も高いナダル。
サンプラスとナダルの共通点は、勝利への執念、冷静さ、
変な癖(しかしナダルの癖の神経質さは、
どちらかというとアガシに似ている気がする)、
宿命のライバルがいる、
バナナを食べるのが似合う、というところか。
どちらにしろ、贔屓がいると、日常生活がちょっぴり刺激的になるものだ。

つい先日の全仏オープン決勝、見事ナダル優勝!!
ナダルはかつての全仏時並みの圧倒的強さとまではいかず、
全体にフェデラーの方が押していた気もするが、
その分波があり、淡々とそれを受け止めて自分のテニスをし、
ここぞという時に鬼気迫る攻撃を仕掛け、
赤土を知り尽くしたナダルの勝利であった。
このような王道の組み合わせで、
一方的でなく、スコア以上の展開があり、様々なスランプを超えての勝利、
を見ると、ああ、テニスファンは幸せである、と思うのだ。


ナダルは素敵だ、フェデラーもすごい、
それでも私の最高のテニス・プレイヤーは、
いつまでも、ピート・サンプラス。
ファンレターまで出しちゃったのもサンプラスだけだ。
その日々は素晴らしかった。
素晴らしいプレイと歴史、そして個人の思い出まで築いてくれたサンプラス、
ああ、ピート・サンプラス、
君のテニスよ、永遠なれ。

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↑私にとって、ウィンブルドンの優勝カップが一番似合うのは、
やっぱり君なんだぜPete!

さあ、次はウィンブルドン、楽しみだ!


最後に、私の大好きなサンプラスの名言。
特に凝ったものではなく、ストレートな物言いだが、
このような言葉を実際に実践出来る人というのは、
やはり偉大なのだと思う。
テニスだけではなく、例えば音楽でもなんでもこの姿勢で臨みたいものだ。

「僕は一度たりとも、
自分の力を疑ったことがない。
たとえ世界最高の選手と対戦する時もだ」

ピート・サンプラス



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ピート・サンプラスの思い出(2/3) [スポーツ]

サンプラスの魅力とはなんぞ。

まず勿論、プレイが素晴らしい。
なんでも素晴らしい「オールラウンドプレイヤー」なのだが、特にサーブが素晴らしい。
彼のサーブはボールを放り投げてラケットを当てるその瞬間まで、
どのような打法でどこに飛ぶのか、誰にも分からないという特殊なものだった。
特に窮地に立たされた時に炸裂する、センターへの200キロサーブは、
コートを真ん中で切り裂く稲妻のようであった。

スマッシュも素晴らしい。抜群の箇所にボールが飛んできたら、
彼も飛び上がり、空を切ってラケットを振り下ろした。
これはダンクシュートに似ているので「ダンクスマッシュ」とかなんとか言われていた。
この効果はゲームの上でも視覚的にも素晴らしく、やんややんやの喝采になったものだ。
更に、お、来るか来るかダンク来るか!?という絶妙なボールに対して、
飛び上がりながらもいきなり身をかがめて見送ることもたまにあったが、
そのボールはぎりぎりアウトだったのだ。
その冷静な判断もまた痺れるのである。
バックハンドが片手だったのでその時の腕の広げ方が、
また蝶が舞うように軽やかで清々しかった。
特殊な訓練の結果である特殊な切り札に、
名称がついてしまうような特徴あるショット、まるで漫画だ。

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↑「ダンクスマッシュ!!」


プレイは誰よりも冷静で洗練され、隙がないのに、どことなく愛嬌のある癖があった。
先述のベロ出しもそうだし、変にサイズの大きいウェアを着ることが多かったので、
打つたびに袖まわりやすそをだるそうに整える。
そんなに気になるならジャストなサイズにすればいいのに…と思ってしまうが、
これも愛嬌。
額の汗は親指の甲でぬぐう。
シャツを着替えると襟が内側に丸まっていたりするのに気がつかない。
グリップの巻き替えが異常に早い。
変な色のドリンクを飲んでいる。
この隙だらけの感じがまたギャップがあっていいのだ。


彼は性格が決して明るい方ではなく、普段は地味でおとなしいため、
人間的魅力に欠けるなどとマスコミに言われていたことがあった。
更にプレイそのものも、全盛期には強すぎてつまらない、まるで機械、見てて面白くない、
退屈な王者、などのとんだ言いがかりをつけられていた。

勿論私はこの話を聞いた時、てめーらどこ見てやがるんだ、
メンテナンスしてやるからちょっくら目ン玉貸しやがれ、
と怒り狂ったものである。
彼のどこがつまらないというのだ。
あの華麗なショットを御覧なさい!
あのベロ出しを御覧なさい!
あのどことなく暗い目と、対照的なへら~~っとした笑顔を御覧なさい!
猫背かと勘違いされるほど盛り上がった美しい背筋を御覧なさい!
あの子供みたいに袖をぐいぐいする仕草を御覧なさい!
バナナが似合う様を御覧なさい!
と、勝手に憤っていたのである。

しかしインタビューなどでは彼は真面目だが、ウィットに富んだ鋭い発言が多いので、
これでなんでつまらんなどと言われるんだろう、アメリカってなんだろう、
とますます理解に苦しむ私であった。

また別の魅力として、強いんだか弱いんだか分からない体力と精神力がある。
彼は地中海の人間独特の、先天性貧血症を遺伝的に患っており、体力があまりなかった。
水分調整やら色々をしくじったらえらいことになるらしい。
彼が前半絶好調だったのに、いきなり何かが抜けてしまったみたいに絶不調になって、
簡単に負けてしまうことがあったのはこういうわけだったのである。
あのベロ出しも、きっとその対策的な癖だったのかもしれないし、
吐いてしまった時はまさに貧血症発症状態だったのかもしれない。
それで6年間も世界ランク1位だったなんて…
どんなにか厳しい自己管理をしていたのでしょう。

コートで吐いたのも驚きだが、コートで泣いたこともある。
ずっと慕っていたコーチが脳腫瘍で倒れ、もう危ない、となった時、
観客が試合中に「コーチのためにがんばれ!」と叫んだ。
すると彼はだらだらと涙を流し、泣いてしまったのだ。
対戦相手が試合の延期を持ちかけたがそれを断り、
泣きながらゲームを続け、そして勝った。
これを素敵と言わずしてなんと言おう。
普段表情があまり豊かではない彼が、そんな時や優勝した時に、
つい漏らしてしまう感情。
つられて泣くのはバカとファン、
2000年ウィンブルドンで怪我をしながら優勝を果たし、
長い選手生活のうちで初めて観戦に来た両親のところへかけあがり、
抱き合い涙した時、テレビの前の私は当人よりよっぽど号泣していたものだよ。

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↑「ピート・サンプラス優勝ーーー!!!」
(チャンピョンシップ・ポイントをとって優勝した直後、
一回転がったりした後立ち上がった時の微笑みはこの顔)


スポーツ系の漫画にありがちな要素、
特殊な訓練の結果である特殊な切り札、
名称がついてしまうような特徴あるショット、
加えてプレイと日常のギャップ、劇的な涙、
ここまでそろった彼には、更に漫画には欠かせない、宿命のライバルまでいた。

サンプラスが出ているだけでどんな試合でも大抵面白かったが、
ライバルであるアンドレ・アガシとの試合となると、
もうその面白さの高騰っぷりは、大インフレ。
正反対のプレイ、正反対の性格、でも互いに互いを尊敬し、
互いと戦う時、自分がベストを超える状態になることを自覚する。

「彼と戦うときはコートに電流が流れるんだ」
などと互いに言い続け、アガシにいたっては
「ぼくの生涯で一番エキサイティングなことはピートとのライバル関係さ」
などとのたまい、私のようなファンを感電死させる勢いだったのである。

アガシ左、サンプラス右
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↑「電流が流れるんだ」


本人たちがそう言うくらいなのだから見ている方もそう感じていた。
私は活躍の後期しかリアルタイムでは見ていないが、
その中でサンプラスの最も素晴らしい試合を選ぶとしたら、
1999年ウィンブルドン決勝と、
2001年全米オープン準々決勝の両者の対決である。
特に後者は4セット全てがタイブレークという、
ミラクル、ミラクラー、ミラクレストな、
活用してもしても足りないような試合であった。
ファンの方なら覚えているだろう。

まだ続く!
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ピート・サンプラスの思い出(1/3) [スポーツ]

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テニスファンの皆様、ごきげんよう。
(この台詞が元の方の声で再現された人はテニス通!)

私はスポーツはやるのも見るのも、あまり興味が無い。
便宜上この記事のために<スポーツ>のカテゴリーを作ったが、
おそらく今後ほとんど使用しない自分的無駄カテゴリーになるかもしれぬ。
泳いだりよじ上ったり、は好きだが、特に球技には苦手意識が。
そんな私が唯一観戦を心から楽しむもの、それはテニス。

今年の全仏オープンテニスもいよいよ佳境。
このところ贔屓のナダルが勝ち進んで行くのを見ながら、
いつも思い出すのは、あの選手。
元々家庭がテニス好きだったので自然と見ることの多かったテニスを、
必死に見続けるようになったきっかけである、ピート・サンプラス!

ああ、ピート・サンプラス…どんなにこの名前に心躍らされ、
動揺させられ、感動させられたことだろう…

ピート・サンプラスはギリシア系アメリカ人のテニスプレーヤーで、
歴代屈指の選手に数えられ、90年代に他の追従を許さぬほどの、
圧倒的な強さでテニス界に君臨していた。
14回のグランドスラム優勝、6年間の世界ランク1位、業績を上げればきりがない。
彼が2003年に正式に引退してしまったので、
私のテニス熱は熱湯から半身浴適温度くらいに冷めてしまった。

彼の全盛期は90年代半ばかと思われるが、
私は残念ながら少々遅れてきたファンであった。
それでも彼が活躍しだした頃から、
テニスファンである両親が目をつけていたので私も注目していた。

「この人、面白いの。すぐベロを出すの。ぺろっと。」
見ていると、本当にベロを出す。ボールを打ち出す前に、やたらとベロを出す。
ぺろっというか、だらりとした感じではあるが。
「本当だ。ベロだ…なんでだろ」
「さあ、温度調節してるんじゃない?犬みたいに。」
なるほど、特に暑そうな時、疲れて見える時にベロ頻度が上がるようだ。
サンペロス、サンペロスと揶揄して笑う愚かな両親を尻目に、
ベロを出すプレーヤーは私のお気に入りになった。

その後のある試合で、思い切り体調不良だったサンプラスは、
なんと試合中にコートの端っこに駆け込んで吐いてしまった。
驚いた私は「サンペロス(私はしばらくこの名称を使用していた)、
ゲロはいちゃったよ…大丈夫かな…」と、ハラハラしたが、
なんと彼はその試合に勝った。
私はまた驚いた。観客のほぼ全員が、ゲロ吐いたサンプラスの応援にまわり、
不運な対戦相手は全くアウェイな状態で、勢いでも負けてしまったのだが、
そんなことよりも吐いても、空ろな目で身体を引きずるようにしながらも、
プレイを崩さずに勝利したサンプラスの気迫に驚き、この人はすごい…!
この人を応援したい…!と思うようになったのだ。

それは恐らく95年くらいの試合だったのだが、
その頃圧倒的に強かった彼はボカスカ勝ってくれるので、応援のしがいもあるある!
毎月テニス雑誌を数種類立ち読みし、少しでも情報があればインプットし、
特集があれば購入し、グランドスラムの時期は落ち着きを失い、
優勝した直後のテニス雑誌は全て購入し、なんでもない時でも、
「彼は元気にやっているかしら…」とふと思うような長い時期が始まった。

長くなるので、続く。

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